と
いう非常に権威あるシリーズの中の一冊に光の曲がり方に関して、黒い筒という概念がでてきます。これはM.M実験ではあらかじめ干渉計が前方に移動する方
向に光源を調整しなければならない、という考え方、恐らく窪田氏(「相対性理論は間違っていた」の著者)の考え方に対する反論でしょう。なお窪田氏の考え
方は、古典論そのままで光源をでた光はそのまま真っすぐ進むという考え方でした。干渉している光は予め曲がった方向に調整された光線であった、という考え
方であったと思います。
黒い筒の考え方を要約すると、
1.黒い筒が移動した場合、外に抜け出る光と壁に吸収される光線があるから光源を調整する必要はない。(図参照)
2.この例えはレーザー光線にもあてはまる。
3.原理は望遠鏡のちょうど反対であるから、接眼レンズからの光が平行に出て行くことになる。
4.
黒い筒がなくてもシンクロトン光のように電子から出た光が曲がる。
とされています。
1.と2.は光が曲がるというよりも光束の縁(エッジ)の移動変化の問題 であり、筒に吸収されずうまく外に出た光が、光源から出る瞬間ボールのように曲がったのか、それとも最初から放射状の光線の一部すなわちある方向に向いた 光が外に出ることができたのかの判別はできません。したがって上記1及び2は光が進行方向に曲がることの何の説明にもなっていません。窪田氏の考え方を批 判するために使用されたようなのですが、例としては不適切だと思います。光が曲がるという概念をうまく説明するには3.のレンズの機能だけで十分なはずで す。なぜなら点光源に近い光源がレンズに入る前にレンズ自体が、移動によりずれると、レンズを出た光はレンズのずれる方向に曲がるのは光学で証明されてい るからです。そういう意味で窪田氏の、予め光源の方向を調整しているという考え方も、レンズの特性を無視した意味のない論です。さらに4.のように、「シ ンクロトン光に関して光がエーテルの波であるとするならば、その光の”波紋の広がり方”は光源の運動には無関係なはずであると批判者が主張しているがこの 主張が間違いであることが実際に実験で確かめられている。」としてシンクロトン光の例をあげられている。文面通り解釈すると、光源の動きが光の進行方向に 影響する、すなわち光がボールのように光源の進行方向に方向を変えることになります。それともシンクロトン光もレーザー光線のように何らかの電磁的な壁の ようなものが存在して黒い筒のように変化するのでしょうか。もしここで光がボールのようにふるまうように主張すると大きな問題が発生します。光線が本当に ボールのように曲がるなら、その曲がった光線が凸レンズで再び曲るということになり、その二重に曲がる光線でさえもM.M実験の干渉縞は移動しないという ことを理論で証明しなければなりません。特殊相対性理論でそれが証明できるのでしょうか。このようにややこしい議論が出てくるのは光線をいきなり線そのも の(ビーム)として考えるからです。実際の光は、放射状に拡散する光束をレンズで調整しビーム状の束にしたものです。もし光源が凸レンズの焦点にあれば、 平行光線となります。光源から出た光線群の内、節点を通るものの進行方向はレンズを通過してもかわりません。それ以外の光線はすべて方向が変わり、すべて 節点を通る光線に並行になり、結果的に平行光線となるのです。観測機が移動すると、光源から出た光がレンズに到着する前レンズが移動してしまい、結果的に 平行光線の方向が変わってしまうのです。(図参照)
こ の実験においては、これだけで十分説明できるのです。それでは上記のような、光はまっすぐ進行するとか、ボールのように曲がるという議論に意味はあるので しょうか。少なくこの実験において議論する意味はありません。なぜならもし、光は光源の移動に関係なくまっすぐ進行するなら、移動したレンズの接点を通る のは予めその方向を向いていた光線となり、逆にボールのように曲がったら、元の光線がやはり方向を変え、移動した節点を通るため、どちらも同じように曲 がった平行光線となります。そしてどちらの位相も変わらないので区別ができないのです。私は光がシンクロトン光で主張されるように曲がるのか、光源の移動 に影響されないのかはわかりません。どちらにせよこの実験で使用されている計算の式は全く問題がないのです。
以上
とされています。
1.と2.は光が曲がるというよりも光束の縁(エッジ)の移動変化の問題 であり、筒に吸収されずうまく外に出た光が、光源から出る瞬間ボールのように曲がったのか、それとも最初から放射状の光線の一部すなわちある方向に向いた 光が外に出ることができたのかの判別はできません。したがって上記1及び2は光が進行方向に曲がることの何の説明にもなっていません。窪田氏の考え方を批 判するために使用されたようなのですが、例としては不適切だと思います。光が曲がるという概念をうまく説明するには3.のレンズの機能だけで十分なはずで す。なぜなら点光源に近い光源がレンズに入る前にレンズ自体が、移動によりずれると、レンズを出た光はレンズのずれる方向に曲がるのは光学で証明されてい るからです。そういう意味で窪田氏の、予め光源の方向を調整しているという考え方も、レンズの特性を無視した意味のない論です。さらに4.のように、「シ ンクロトン光に関して光がエーテルの波であるとするならば、その光の”波紋の広がり方”は光源の運動には無関係なはずであると批判者が主張しているがこの 主張が間違いであることが実際に実験で確かめられている。」としてシンクロトン光の例をあげられている。文面通り解釈すると、光源の動きが光の進行方向に 影響する、すなわち光がボールのように光源の進行方向に方向を変えることになります。それともシンクロトン光もレーザー光線のように何らかの電磁的な壁の ようなものが存在して黒い筒のように変化するのでしょうか。もしここで光がボールのようにふるまうように主張すると大きな問題が発生します。光線が本当に ボールのように曲がるなら、その曲がった光線が凸レンズで再び曲るということになり、その二重に曲がる光線でさえもM.M実験の干渉縞は移動しないという ことを理論で証明しなければなりません。特殊相対性理論でそれが証明できるのでしょうか。このようにややこしい議論が出てくるのは光線をいきなり線そのも の(ビーム)として考えるからです。実際の光は、放射状に拡散する光束をレンズで調整しビーム状の束にしたものです。もし光源が凸レンズの焦点にあれば、 平行光線となります。光源から出た光線群の内、節点を通るものの進行方向はレンズを通過してもかわりません。それ以外の光線はすべて方向が変わり、すべて 節点を通る光線に並行になり、結果的に平行光線となるのです。観測機が移動すると、光源から出た光がレンズに到着する前レンズが移動してしまい、結果的に 平行光線の方向が変わってしまうのです。(図参照)
こ の実験においては、これだけで十分説明できるのです。それでは上記のような、光はまっすぐ進行するとか、ボールのように曲がるという議論に意味はあるので しょうか。少なくこの実験において議論する意味はありません。なぜならもし、光は光源の移動に関係なくまっすぐ進行するなら、移動したレンズの接点を通る のは予めその方向を向いていた光線となり、逆にボールのように曲がったら、元の光線がやはり方向を変え、移動した節点を通るため、どちらも同じように曲 がった平行光線となります。そしてどちらの位相も変わらないので区別ができないのです。私は光がシンクロトン光で主張されるように曲がるのか、光源の移動 に影響されないのかはわかりません。どちらにせよこの実験で使用されている計算の式は全く問題がないのです。
以上
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