2014年7月30日水曜日
番外編2 黒い筒という考え方について
「相対論の正しい間違え方」パリティ編集委員会編 (大槻義彦責任編集)松田卓也.木下篤哉 著丸善㈱
4.
黒い筒がなくてもシンクロトン光のように電子から出た光が曲がる。
とされています。
1.と2.は光が曲がるというよりも光束の縁(エッジ)の移動変化の問題 であり、筒に吸収されずうまく外に出た光が、光源から出る瞬間ボールのように曲がったのか、それとも最初から放射状の光線の一部すなわちある方向に向いた 光が外に出ることができたのかの判別はできません。したがって上記1及び2は光が進行方向に曲がることの何の説明にもなっていません。窪田氏の考え方を批 判するために使用されたようなのですが、例としては不適切だと思います。光が曲がるという概念をうまく説明するには3.のレンズの機能だけで十分なはずで す。なぜなら点光源に近い光源がレンズに入る前にレンズ自体が、移動によりずれると、レンズを出た光はレンズのずれる方向に曲がるのは光学で証明されてい るからです。そういう意味で窪田氏の、予め光源の方向を調整しているという考え方も、レンズの特性を無視した意味のない論です。さらに4.のように、「シ ンクロトン光に関して光がエーテルの波であるとするならば、その光の”波紋の広がり方”は光源の運動には無関係なはずであると批判者が主張しているがこの 主張が間違いであることが実際に実験で確かめられている。」としてシンクロトン光の例をあげられている。文面通り解釈すると、光源の動きが光の進行方向に 影響する、すなわち光がボールのように光源の進行方向に方向を変えることになります。それともシンクロトン光もレーザー光線のように何らかの電磁的な壁の ようなものが存在して黒い筒のように変化するのでしょうか。もしここで光がボールのようにふるまうように主張すると大きな問題が発生します。光線が本当に ボールのように曲がるなら、その曲がった光線が凸レンズで再び曲るということになり、その二重に曲がる光線でさえもM.M実験の干渉縞は移動しないという ことを理論で証明しなければなりません。特殊相対性理論でそれが証明できるのでしょうか。このようにややこしい議論が出てくるのは光線をいきなり線そのも の(ビーム)として考えるからです。実際の光は、放射状に拡散する光束をレンズで調整しビーム状の束にしたものです。もし光源が凸レンズの焦点にあれば、 平行光線となります。光源から出た光線群の内、節点を通るものの進行方向はレンズを通過してもかわりません。それ以外の光線はすべて方向が変わり、すべて 節点を通る光線に並行になり、結果的に平行光線となるのです。観測機が移動すると、光源から出た光がレンズに到着する前レンズが移動してしまい、結果的に 平行光線の方向が変わってしまうのです。(図参照)
こ の実験においては、これだけで十分説明できるのです。それでは上記のような、光はまっすぐ進行するとか、ボールのように曲がるという議論に意味はあるので しょうか。少なくこの実験において議論する意味はありません。なぜならもし、光は光源の移動に関係なくまっすぐ進行するなら、移動したレンズの接点を通る のは予めその方向を向いていた光線となり、逆にボールのように曲がったら、元の光線がやはり方向を変え、移動した節点を通るため、どちらも同じように曲 がった平行光線となります。そしてどちらの位相も変わらないので区別ができないのです。私は光がシンクロトン光で主張されるように曲がるのか、光源の移動 に影響されないのかはわかりません。どちらにせよこの実験で使用されている計算の式は全く問題がないのです。
以上
と
いう非常に権威あるシリーズの中の一冊に光の曲がり方に関して、黒い筒という概念がでてきます。これはM.M実験ではあらかじめ干渉計が前方に移動する方
向に光源を調整しなければならない、という考え方、恐らく窪田氏(「相対性理論は間違っていた」の著者)の考え方に対する反論でしょう。なお窪田氏の考え
方は、古典論そのままで光源をでた光はそのまま真っすぐ進むという考え方でした。干渉している光は予め曲がった方向に調整された光線であった、という考え
方であったと思います。
黒い筒の考え方を要約すると、
1.黒い筒が移動した場合、外に抜け出る光と壁に吸収される光線があるから光源を調整する必要はない。(図参照)

2.この例えはレーザー光線にもあてはまる。
3.原理は望遠鏡のちょうど反対であるから、接眼レンズからの光が平行に出て行くことになる。
4.
黒い筒がなくてもシンクロトン光のように電子から出た光が曲がる。とされています。
1.と2.は光が曲がるというよりも光束の縁(エッジ)の移動変化の問題 であり、筒に吸収されずうまく外に出た光が、光源から出る瞬間ボールのように曲がったのか、それとも最初から放射状の光線の一部すなわちある方向に向いた 光が外に出ることができたのかの判別はできません。したがって上記1及び2は光が進行方向に曲がることの何の説明にもなっていません。窪田氏の考え方を批 判するために使用されたようなのですが、例としては不適切だと思います。光が曲がるという概念をうまく説明するには3.のレンズの機能だけで十分なはずで す。なぜなら点光源に近い光源がレンズに入る前にレンズ自体が、移動によりずれると、レンズを出た光はレンズのずれる方向に曲がるのは光学で証明されてい るからです。そういう意味で窪田氏の、予め光源の方向を調整しているという考え方も、レンズの特性を無視した意味のない論です。さらに4.のように、「シ ンクロトン光に関して光がエーテルの波であるとするならば、その光の”波紋の広がり方”は光源の運動には無関係なはずであると批判者が主張しているがこの 主張が間違いであることが実際に実験で確かめられている。」としてシンクロトン光の例をあげられている。文面通り解釈すると、光源の動きが光の進行方向に 影響する、すなわち光がボールのように光源の進行方向に方向を変えることになります。それともシンクロトン光もレーザー光線のように何らかの電磁的な壁の ようなものが存在して黒い筒のように変化するのでしょうか。もしここで光がボールのようにふるまうように主張すると大きな問題が発生します。光線が本当に ボールのように曲がるなら、その曲がった光線が凸レンズで再び曲るということになり、その二重に曲がる光線でさえもM.M実験の干渉縞は移動しないという ことを理論で証明しなければなりません。特殊相対性理論でそれが証明できるのでしょうか。このようにややこしい議論が出てくるのは光線をいきなり線そのも の(ビーム)として考えるからです。実際の光は、放射状に拡散する光束をレンズで調整しビーム状の束にしたものです。もし光源が凸レンズの焦点にあれば、 平行光線となります。光源から出た光線群の内、節点を通るものの進行方向はレンズを通過してもかわりません。それ以外の光線はすべて方向が変わり、すべて 節点を通る光線に並行になり、結果的に平行光線となるのです。観測機が移動すると、光源から出た光がレンズに到着する前レンズが移動してしまい、結果的に 平行光線の方向が変わってしまうのです。(図参照)

こ の実験においては、これだけで十分説明できるのです。それでは上記のような、光はまっすぐ進行するとか、ボールのように曲がるという議論に意味はあるので しょうか。少なくこの実験において議論する意味はありません。なぜならもし、光は光源の移動に関係なくまっすぐ進行するなら、移動したレンズの接点を通る のは予めその方向を向いていた光線となり、逆にボールのように曲がったら、元の光線がやはり方向を変え、移動した節点を通るため、どちらも同じように曲 がった平行光線となります。そしてどちらの位相も変わらないので区別ができないのです。私は光がシンクロトン光で主張されるように曲がるのか、光源の移動 に影響されないのかはわかりません。どちらにせよこの実験で使用されている計算の式は全く問題がないのです。
以上
番外編1 光速度が一定になる理由
エーテルがあると仮定して地球が速度vで動く場合、vが測定に影響するかどうかを考察してみます。波の速度を計るとはどういうことかを原点に戻って考えてみましょう。
波の速度を計る方法として
1.直接速度を計る
2.振動数と波長を計りその掛けた値を速度とする。
の2種類が考えられます。それぞれの具体的方法を考えてみましょう。
1.直接速度を計る場合
海の波の頂点にサーファーがのっている場合をイメージします。
ある地点で観測者がサーファーの位置と時間を確認できたとします。その後すぐにサーファーを追っかけ、ある地点での位置と時間を記録できたとします。もし波の進行速度が早すぎて追いつかない場合は別の人にたのんで記録してもらうことになるでしょう。その二つのデータから時間差と距離を割り出せば速度がでます。もっとも原始的方法
すが、波の速度が光のように早い場合や波長か短い場合は計測が難しいのはいうまでもありません。原理上ある程度の精度を満足させる最初の地上実験はJ.L.フーコーの回転鏡を使用した実験でしょう。
これは光を往復運動させる途中に高速回転する鏡を置くと回転鏡で反射された光が反射鏡で再度反射して回転鏡に戻ってくる時間に回転鏡の角度が変わるのでハーフミラーに戻る角度が変わるという原理によるものです。スクリーンに写る点の位置が移動するのでその移動量から光の速度が逆算できます。理論的には明快なすぐれた計測法だと思います。ところでこの方法で測れる速度とは何に対する速度でしょうか。光がエーテルを進む速度cでしょうか。それとも計測機がエーテル内を移動する速度vを計算にいれた相対速度でしょうか。
この場合、光が往復運動をしていることから、観測機の移動速度vという変動因子は消えずに残りますが、それが観測できる程の往復距離を確保できるなら理屈上は観測できることになります。
.2.振動数と波長を計りその掛けた値を速度とする場合
振動数の計測は1点で計測できます。一定時間の通過する波の山または谷の個数を数えればよいわけで電子的な方法で比較的簡単に計測できるようです。
それでは波長はどう計測すればよいでしょうか。波が媒体を進む速度が予め判っていればそれを振動数でわれば簡単ですが速度が判らなければ波長自体を直接計測しなければなりません。波がゆっくり進行しその波長も長ければなんとか直接計測できるかもしれませんが、それでも動く山の1点を誤差少なく計測するのはかなり難しいと思います。
もしエーテルに対して光源も観測者も静止していれば、振動数にその波長を乗ずることにより、エーテルにおける光の速度は算出可能です。その時の波長をλ、振動数をnとするとc=nλなる式で表せるのは言うまでもありません。もし観測者がエーテルに対して静止し光源が観測者に向かって速度vで移動していたなら、ドップラー効果により振動数n1はn1=nc/(c-v)となります。光源は静止し観測者が光源から速度vで離れていくなら振動数n2はn=n(cーv)/cとなります。
もし光源と観測者の間に速度差はなくそれぞれがエーテルに対して速度vで移動しているならば、その時観測者が受ける振動数n3はnと等しくなります。すなわち地上で光源と観測者を固定させた場合は地球がエーテルに対してどう移動しようとも振動数は一定になります。つまり振動数nという光の固有振動数はドップラー効果による影響を受けずに地上でも観測できるということを意味します。
それでは波長の変化はどうなるでしょう。もし上記の直接波長を実測するような方法があっても波長の長さは変わらないでしょう。エーテルに対して光源が速度vで動くと進行する波の波長は短くなります。その波長λ1はλ1=λ(c-v)/cとなりますが、それを受け取る観測者も速度vで動くので結局振動数の場合と同じで観測される波長は本来の波長λと同じになってしまいます。つまり速度vという変数が波長を現す関数からキャンセルされてしまうのです。そうするとあるタイミングで周波数がn、波長がオッシログラフ等(実際には光の波長が長すぎて直接は測れない)でλと計測されるのでとそれを掛け合わせてもいつも速度はcで一定になります。
2つの経路の光を混合してそのビートを計測する方法は何種類か考えられますが、大抵はvがキャンセルされてしまい光のエーテルに対する速度だけしか算出されません。元の光線とその光線を往復運動させ混合させるとそのビートはvによる因子を含みますのその変動を計測さえできればvを算出できるかもしれません。ただしその変動値はM.M実験の変動値よりはるかに小さい値となるでしょう。以上思いつきを掲載しておきます。
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